そして…


本当に自分が浅はかで嫌になります。


極端なんですね、私という人間は。
自分が経験したことからしか学べない。
想像力をフルに使って、
リスクを回避するなんて絶対にできない。


まあ何がなんだってわけではないんですが。笑


面白い話をしたいですね。
「ちょっとはみさんスピーチお願いしますよ」なんていわれたときに、
「へいへい」とマイクを握ってまずつかみで笑わせて
その勢いでぺらぺらとまあよくしゃべりますねってな勢いでまた笑いをいくつかとって
客席がそのノリに飽きる前にちょっと良い話をして
ふむふむと俺の言いたいことをのみこんでもらって、
「それじゃあありがとうございました」とサッと消える、
余韻が残る、面白かったな、良い話だったな、と
そんなスピーチをさら〜っとできるようになりたいです。


野望ですね。


あと「はみさんはどう思いますか」とたずねられたときに
相手が聞きたいことをさっと抽象化して
さささっと自分の考えを再構築して、
「私はこう考えています」と論理的に語れる人になりたいです。


インプットは意識してきたつもりですが、
アウトプットは24になった今でも意識的にできていません。
生まれ育った環境も関係あるかもしれません。
自分の意見というものを吸い上げてもらうこともなく、
自ら主張するでもなく、そんな幼少期でしたからね。
今はあれですけど・・・笑


ブログをまあよく飽きもせず書き続けた私が
アウトプットをうんちゃら言うのもおかしな話ですが、
これはただ思ってること思ったことを書いているだけであって、
そこに相手はいないわけです。自分本位の文章というだけ。
それでは意味がない、少なくとも評価はされない。


今のご時世、やはり「人に評価される」、
そういう人間しか必要としてもらえないと思うのですよ。
その意味で私は0点なわけで、本当に困っているわけです。
頭が悪いとか勉強ができないとか走るのが遅いとかそういう単純な話ではなく、
いかに人に評価されるのか、そこが肝なんですね。


ここで言う人というのは一般的な「人」のことではなく
そのときにあなたが向き合う人そのもののことです。
つまり絶対評価ではなく、相対評価になってしまいます。


面白いですね、人に合わせて生きることができれば、必要としてもらえる。
ただ足が速ければいいというものではなくて、
コンビニ店員ならそんなものは必要ないし、
ごっこをするならお得な才能なわけですよね。


わざわざ人に限定しなくても、環境とか状況とか、なんにでも例えられますね。
柔軟にその環境に適応できること、それができないと、結構キツイ。
求められる水準が高ければ高いほど、キッツイ話になります。


ま、いかに相手を満足させることができるのか、
そして「私には君が必要だ!」と思わせられるのか。
そういう意味で、ブログをただ書いているだけで、
意識的なアウトプットと胸を張れないわけです。


あ、やっと話が戻りましたね。笑


ですからねー、私はまだまだなんですね。


精進精進。
それでは根カフェから去ります。