きったねえ


最近なんかやたらと「生きること」について考えてます。はみさんです。


人間って面白いよね。
特に人間の醜さは大好きです。
ひねくれててねじまがってて欲望にまみれてて
とりつくろって着飾って偽って誰かの悪口言って
いつまでもゆるせなくて言い訳ばかり口にして
悪いことは全部誰かのせいで
汚い部分もろい部分弱い部分そういうの全部ひた隠しにして
何も言えなくてストレスためてのエコサイクル。いやー素晴らしい。
そういう穢れはすべてその子のアウトプットだから、
その子がどんなことを考えてそんなアウトプットに至ったのか、
ちょっと想像するだけでも「人間としての素晴らしさ」みたいなものが溢れてくる。


人間はそういうきったねえ部分と美しい部分のミックスジュースだから、
「美しい部分だけをただひたすら集めた何か」だけを見ていても意味がない。
きったねえ部分から「ああ素晴らしいなあ」が生まれ、
そんな感情の中で美しい部分を見ていると、本当に素晴らしく思えるわけです。
素晴らしいものを見て、人間の美しい部分を感じるとともに、
その裏に隠されたきったねえ部分を想像すると…ってキレイにまとめてみたいけど、
まだ想像しきれないんだな。俺はもっともっと人間のきったねえ部分を感じたいです。