理解力


久しぶりにそこまで言って委員会を見ました。
武田先生の環境問題についての討論が
今回、再びやっていました。
たまにしか見れてないのに
どっちも見れてるなんて嬉しい限りです。


それにしても、
なんであんなに理解力がなさすぎるんだろ。
1から1しか受け取れない人が多いんじゃないかね。
何が言いたいのか、そのバックボーンを見ようよ。
テレビなんて尺が短いし、
編集も思いっきりされてしまうんだから、
何を言わんとしているかを
放送された部分だけから考えても仕方ない。


まあ確かに、今回の討論は、尺があまりに短すぎて、
どっちが正しいとは言い切れない部分もあるでしょう。
今回の武田先生の話は、
本に書いてあることのごく一部しか話せてないし、
聞かれたことを答えているばかりだから、
うまく話もつながらない。
反論に反論するのが趣旨と考えているからだろうし、
そこは理解しながら視聴者もコメンテイターも聞かなくてはいけない。
前回の放送を見てもわかる通り、
あの人は言いたいことをきちんと言う術を持ってないんだから、
そこは汲みながら、フォローしながら、
話を聞かなくてはならない。


武田先生の話に反論しきれておらず、歯切れの悪い主張に終わっていること、
そして双方が政策提言までできていないこと、
だからこそ、あんなにわかりにくい討論に終始してしまったのではないか。
せっかくあの2人を揃えたのなら、2〜3時間ほどのスペシャル枠で、
それ1本で徹底討論してほしかったですね。


理解力のなさの話に戻りますが、
俺はオーラの泉のお二人や細木数子
説教的な御話が好きでよく見てるんですが、
結局、同じようなことを毎回言ってるんですよね。
もちろん、彼らの視点は
やはり俺のような凡人とは違うわけで、
「あー、なるほど」と思わせるような視点で
モノを言ってくれるからこそ
「今日も見ようかな」
「今日はどんな話がいただけるかな」と思えるんですけど。
それをああだこうだと、
その話でしか捉えられないからこそゴチャゴチャ言う人が居る。
「自分の周りに置き換えたら、
この話はどう活かせるのかな」と考える力、
それが理解力ではないかと俺は思う。


別に、偉い人の話はいつも勉強になって、
偉くない人の話は大して勉強にならないわけじゃなくて、
それが勉強になるかならないかは、
自分自身の理解力によるものでしょう。
「君の話はいつも勉強になるよ」というのは、
すなわち「君の話はいつも考えさせられるよ」ということで、
別に「君」が偉くて、高尚なことばかり考えているねと
そのように褒めているわけではないのです。
いわば「君」が見ている視点とかそういうものを
自分の周りに置き換えたり、
あるいは客観的に見つめて一般化して取り込んだりして、
それから「そういうもの」をそれと認めて、
「素晴らしい」「勉強になる」と感想を述べているだけなのであって、
そういう勘違いをされると、
相手にすごくマイナスな発言をしてしまったな、と思ったりもします。


まあ理解力のない人は、ここでそう反論しても、
何を言っているのかわからなかったり、
高尚ぶってるだけと思われたりするので、
別に何も言わないんですけどね。
高尚ぶってるわけでもなんでもなくて、
ただ謙虚に他人の話を聞きたいだけなのに。


とはいえ、やはり、偉い人、すごい人というのは、
勉強になるような話をたくさん持ってるんですよね。
持っているというより、
脳から自然と溢れてくるんでしょう。
知識じゃなくて視点とかそういうものだと思います。
だからこそ悟りなんて言葉があるのかな、なんて思ったり。


まあ話が長くなってきましたのでこの辺で。